水魚の交わり

趣味やあれこれ

容易く人一人を値踏みしない

 

どんな事においても

”実際にする”という事と”しているのを見る”という事は全く違う事である。

経験の無い事は勿論、

経験のある事であっても”する”と”見る”は1から違う行為である。

 

しかし人間は”見た”ものを自らの経験と同一視しがちである。

その結果心無い発言や態度に繋がる事が多い。

 

例えば、プロ野球を見て「どうしてど真ん中が打てないんだ」「プロ失格」

例えば、ゲーム実況動画を見て「ありえないミス」「下手すぎ」

 

こうした発言はストレス解消やマウンティング、プロ精神etc...

それぞれ理由はあるかもしれないがいずれも

”自分が同じ立場でその場にいればもっと上手くやれる”

という根底がある。

 

人間は見た物が自分のイメージと違った場合に違和感を感じ

自分なりの解答を導き出すが

実際にやってみると自分のイメージ通りにはなる事は無い。

 

なぜイメージ通りにはならないのか?

それは前提を飛ばして答えだけを望むからである。

本来、”実際にする”ためには

環境や技術・経験など様々な前提条件を必要としている。

人間はその前提条件を無視、もしくは安く見積もってしまう。

 

そうした傾向から人と向き合った時についつい相手を点で捉えてしまいがちだが

相手は努力であったり苦悩であったりという前提を経てその場に立っている。

人を簡単に値踏みすることなく謙虚に人と向き合って行きたい。

見たいものしか見ないし聴きたいものしか聴かない

絵を描いたり音楽を聴いたりしていると

物を見る・音を聴くという事について

自分にとって都合の良い心地の良い部分しか捉えていないなと感じる事が多い

 

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

アインシュタイン

 

絵にはデッサンという訓練方法がある。

自分の偏見で固まったイメージで絵を描くのではなく

物を細部まで捉えて見えるままに描く練習である。

 

そうした過程を経ると

自分の中のイメージがいかに自分の中だけのものであるか

ということを思い知らされる。

 

人間は結局、

ものごとを正確に把握するわけではなく

自分にとって都合の良いものに変質して把握している。

 

ものごとの本質を掴める人間になるために力をつけて行きたいと思う。

2018年絵を描き始めた話

小学校の頃から落書きするのが好きで自由帳にマンガを描いては友達に見せていました

中学の頃には友達とノートを交換しながらマンガを描いたのを覚えています

どちらも大したものでは無く落書きレベルで、長く続ける事もありませんでした

 

それから暫くはゲームやアニメにハマったり飽きたりの日々で

コンテンツを消費するだけの毎日に漠然とした不安を覚えつつ時が流れました

 

 

ありがたいことに、ここ数年インターネットの発達とオタク文化の発展により

マンガ・イラスト・アニメ・映画・音楽…

あらゆるものにおいて素晴らしい作品に触れる機会が増えました

こうしたものに日々触れながらも

感情を自分で何も表現する方法を持たない無力感に襲われていました

 

 

2018年、リズと青い鳥という作品に感銘を受けてその思いが強まり

本屋で室井康雄先生の

「アニメ私塾流 最速でなんでも描けるようになるキャラ作画の技術」

を買いました

絵の上達によいとされている模写の目的・方法から

基礎に必要なところだけをまとめてありとても助かりました

この二つの出会いが一歩踏み出すために背中を押してくれました

 

そこからは

これまでの出会いとそれからの新しい出会いに助けられて2018年後半を乗り切りました

絵を見せ合ったりアドバイスをくれた方々に感謝を

 

まだ目標も定まらないような状況ですが上達を目指しつつ継続していくつもりです

「教える」という事の素晴らしさ

あるプロ野球選手が小学生に野球を教えている記事への反応で「そんな事いちいち言わなくても自然とそうなるだろ」というのを見て思うところがあったので。

 

「自然とそうなる」ために野球少年が支払うコストについて考えると、

「自然とそうなる」ためには何度も繰り返しの練習が必要で

個人差・センスにより差はあるものの、ある程度時間が必要になってくるものです。

 

野球少年の中には教えられた事について

既に意識して出来ている子、無意識のうちに出来ている子、出来ていない子

様々いて全員が同じに共有しているなんてことはありえない訳なんです。

それらを無視して全員の意識をそこに向けさせる事が出来るという点だけでも「教える」という事の価値があると思います。

 

一方教える側の事を考えてみると、

教える事柄について重視すべき点を意識して内容や関係性について理解した上で

相手に伝わるように言語化をする能力を求められます。

なので人々が当たり前と思っている事についてだとしても教えられるという事は素晴らしい事なのではないでしょうか。

 

つい「言わなくてもわかってるよ」「そんな事当然だろ」と思ってしまいがちなので自戒の意味も込めまして。

 

リズと青い鳥

ずっと待っていたBDがやっと発売になりました。

今まで私が見てきた中で一番好きな作品と言いたい。

そのぐらい衝撃を受けたし様々な事を感じた作品でした。

 

好みかどうかはともかく、100人が観たら100人が違う感想を持つのではないかと思う程様々な事に気を配って繊細に組み上げられた作品だと思います。

 

私自身も観る度に受け取ったこと・考えることが移っていってシンプルなストーリーにも飽きる事無く何度も見返しています。

それは絵であったり色であったり音であったり動きであったり間であったり…

アニメーションで、映画で、ここまで表現をする事が出来るのだなぁと感じました。

 

誰にでも好かれる作品とは言いませんがぜひ一度は観ていただきたいなと思います。

新しいものに触れていく

今年も残すところあとひと月ちょっとですが

今年は新しいものに触れるという事の大切さを感じる一年でした。

 

というのも今年6月頃に絵を描き始めたんです。

絵を描くと言っても何も経験が無いため”他人の真似をして線を引く練習をしている”と言ったほうが適しているようなレベルなのですが、それがキッカケで今まで興味が薄かったものにも興味を持って・興味があっても手を出さなかったものにも積極的にアプローチするようになった気がします。

(とか偉そうな事を言いつつお前ずっと同じことやってるなぁというジレンマもあったりします)

新しいコンテンツに触れてそこから貰うエネルギーを糧に日々生きています。

絵を描いている友達との会話が増えたのも幸せの一つです。

 

このブログで文章を書き始めたのも日々感じた事を流してしまわないように自分なりに表現していこうという思いからで…表現する事は今年の目標の一つだったので内容の無い話ばかりですが継続していければなぁと。

GODZILLA 星を喰う者見ました

恐ろしいですね、前回の更新からもう3ヶ月以上経っているみたいです。

 

先日「GODZILLA 星を喰う者」見て来ました。

この作品は「GODZILLA 怪獣惑星」「GODZILLA 決戦機動増殖都市」に続く3作目でいずれも劇場で鑑賞しました。

 

1作品目、2作品目は前振りであり、集大成としてこの作品があります。

 

GODZILLA 怪獣惑星」はゴジラを始めとした怪獣の出現と過酷な環境に置かれる人類の中で”人間らしさとは何か?”という疑問を投げかけてくるような構成となっていて、シリーズ通してのテーマを表現した作品

GODZILLA 決戦機動増殖都市」はゴジラに対抗するためにナノメタルの一部となっていく人類を描写しつつ、”肉体を失っても人間は人間と言えるのか”を表現した作品

そして3作品目に当たるこの「GODZILLA 星を喰う者」では人間の精神的な部分を議題とした作品となり、人間らしさについて作品として結論が出るものと予想していました………

 

しかし実際には

結末こそ、新たなギドラを呼ぶことのないようにナノメタル化したユウコと共に文明の象徴であるヴァルチャーに乗ってゴジラに挑み消滅…と括ったもののシリーズ通して見るとこの結論では余りにも意味不明。

私のこの物語の認識が間違っていたのか、理解力が不足しているのか、そう感じさせる作品でした。

一言、完結してくれてありがとうとだけ言っておきたいと思います。

 

蛇足ですが

映像・音楽については大して良くも無く、

怪獣メインの作品ではないので旧ゴジラシリーズの様な怪獣プロレスはありません

一方でSF作品としてなら楽しめた方もいらっしゃるみたいです。