「教える」という事の素晴らしさ
あるプロ野球選手が小学生に野球を教えている記事への反応で「そんな事いちいち言わなくても自然とそうなるだろ」というのを見て思うところがあったので。
「自然とそうなる」ために野球少年が支払うコストについて考えると、
「自然とそうなる」ためには何度も繰り返しの練習が必要で
個人差・センスにより差はあるものの、ある程度時間が必要になってくるものです。
野球少年の中には教えられた事について
既に意識して出来ている子、無意識のうちに出来ている子、出来ていない子
様々いて全員が同じに共有しているなんてことはありえない訳なんです。
それらを無視して全員の意識をそこに向けさせる事が出来るという点だけでも「教える」という事の価値があると思います。
一方教える側の事を考えてみると、
教える事柄について重視すべき点を意識して内容や関係性について理解した上で
相手に伝わるように言語化をする能力を求められます。
なので人々が当たり前と思っている事についてだとしても教えられるという事は素晴らしい事なのではないでしょうか。
つい「言わなくてもわかってるよ」「そんな事当然だろ」と思ってしまいがちなので自戒の意味も込めまして。